「少年と犬」は不幸の物語か
このブックレビューについて
直木賞受賞作「少年と犬」について、大人が本気の本気で書いたブックレビューです。大人の読書感想文と言っていいかもしれません。ネタバレ含みますので、既読の方推奨です。
馳 星周さんの作品を初めて読みました。難しい言葉は少なく、読みやすいです。少年と犬のハートフルな話を期待すると、微妙に感じるかも。犬好きには向きません。
きっと、この作品の優れているのは犬の描写よりも、不幸な人の人間描写の方です。
この犬…多聞ってなんなんだろう
多聞は不幸を呼ぶ犬?
話の9割は「多聞は不幸を呼ぶ犬?」と思いながら読み進めました。出会う人は皆もともと不幸で、多聞(犬)と会った後にもっと不幸になっていきます。多聞は皆に安らぎを与えるものの不幸はさらに深まる…慈悲深い死神のようです。あるいは、死の直前に寄り添い孤独を癒すナースの様でもあり。
私は犬を飼っているので、多聞の賢すぎる所と欠点の無さが少し不気味でした。長く飼っていると欠点も愛嬌になってくるものですが、そういった人間くさいような生活感や人との繋がり方は一切無し。パーフェクトなロボットの様です。もしくは、神の使い(時々そう表現されていました)。
この、動物に純粋さや神々しさをみる点は、小説「首里の馬」の馬と似たところがあります。
そして、多聞は本当の家族を求めて旅をしています。出会った不幸な人達もそれを察しているので、どんなに多聞を愛しても多聞は自分の家族にはなってくれないという寂しさを感じてしまっています。
欠点の無い犬をどう見るか
欠点のない犬に、「犬の理想像」をみるか、「不気味さや神性」をみるかは、人それぞれなのだろうと思います。私は後者でした。多聞はたびたび写真を撮られるのですが、私は「写真に映らないのではないか?」と思うくらいに多聞が実在する犬なのかを疑っていました。
ふりかえると、多聞は「人間をうつす鏡」としての役割が強かったように思います。多聞は気高く完璧だけれどそれ以外には個性がないので、人間描写の邪魔にはなりませんでした。
犬を好きな作者が、こんなにシビアに犬を道具に徹底させることができるのか?と不思議でした。それか、もしかしたら、作者の愛犬は多聞の様に完璧に近い犬なのか…
結末の是非・幸せとは
ハッピーエンド好きにはつらい
結局、沢山苦労した割に、多聞は長く幸せに生きられませんでした。そして、多聞が出会った不幸な人たちは、相変わらず不幸なままか、もしくは死にました。
私には、喪失感と憂鬱な気持ちが強く残りました。私は、不幸な分だけハッピーなことがあってほしいというハッピーエンド好きなので、相性が悪かったのだと思います。
たしかに、小説「人間失格」の様に、終始暗い不幸を描く小説にも独特の良さや美しさがあることは理解しています。
多聞の幸せ・成功とは
一方、多聞は長く幸せには過ごせなかったけれど、最後に大きなことを成し遂げたとは思います。それが、旅路の苦労と精算してもおつりがくるほどに、多聞にとっては嬉しいことだったのかもしれません。苦労をしたとすら思っていないかもしれません。
私にとってはこの本は、犬の苦しい旅路と不幸な人達と死の物語でした。
でも、多聞にとっては優しい人達と出会い、冒険した末に大成功をしたサクセスストーリーだろうと思うと、私の喪失感は的外れのような気もして…なんだか困ってしまいます。
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